中秋の名月とは
この日は盗み食いOK?
この芋名月の夜は昔は多くの地方で、人の畑に植わっている芋を勝手に取って食ってもいいという風習がありました。ただし幾らでも取っていいという訳ではなく、道から片足踏み込んだ所までとする、というお約束でした。これは「片足御免」という風習です。昔の日本というのは、このように特定の日にみんなで悪いことをすることを認めて、それによって各種のストレスを解放するという社会的な仕組みができていました。似たような風習はヨーロッパでも数十年前までは見られ、集団で牛を盗んでみたり馬車を木の上にあげてしまったり動物を袋叩きにしたり道行く人に泥を投げつけたり、などといったことをカーニバルの時などにやる風習がありました。現代はそういったストレス発散の機会が無いのが若者達にとっては不幸なことかも知れません。
陰暦で8月15日の月を「十五夜」「中秋の名月」などといいます。今年(2000年)は新暦9月12日にあたります。陰暦では1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬です。そこで8月は秋の中の真ん中の月なので「中秋」と呼ばれるのです。
古来、日本人は月をめでて来ましたが、やはり満月が一番美しいものとされました。その中でも中秋のこの時期は空気が澄んでいて、最も美しい満月が見れるということで、平安時代初期に、この日月を見ながら宴会をする風習ができたのです。これは観月宴とか月の宴と呼ばれ、当時は月を見ながら即興で和歌を読み、その出来をみんなで評価しあって酒を飲んで楽しみました。
この行事が定着し始めると、月の見える所にすすきを飾り、月見団子、里芋、枝豆などを盛り、お神酒を供えるようになります。
月見の基礎習俗
月見は中国の中秋節の影響で始まったものとされます。中国では月餅をこの日食べていたのですが、日本に来ると月見団子に変わってしまったようです。
しかし、この月見が民間に定着するにあたっては、やはりその基礎となる習俗がありました。これが初穂祭、つまり秋の収穫祭であるとされます。
春から手を掛けて育てた作物が秋には実り、人々に大事な食料をもたらしてくれます。日本人はこの自然の恵みに感謝してこの時期いろいろな祭を行いました。特にこの時期に多く祝われたのは里芋の収穫で、そのため、月見に里芋を供える風習ができ、この名月を「いも名月」とか「いものこ誕生」と呼ぶ地方もあります。
名月の呼び名
中秋の名月は色々な名前で呼ばれました。
今宵の月 「今日の月」ともいいますが、しばしばこの言葉は中秋の名月を指します。
望月夜 満月ということですが、やはり特に中秋の名月を指します。
三五の月 3×5=15で、十五夜。日本人はこういう言葉遊びが好きですね。
名高き月
端正の月
この日は月を見たい訳ですから天気が良いのが一番助かります。これは「良夜」と呼ばれました。また少し雲が出ていて、時々雲に隠れたりするのもなかなか風流です。しかし雲が厚くて完璧に見えない場合はどうしようもなく、これを「無月」、更に雨まで降っているのは「雨月」といって残念がり、そういう場合は十六夜(いざよい)、十七夜(たちまち)、などに期待を掛けました。
中秋の名月は満月ではない??
中秋の名月というのは、陰暦8月15日で、つまり新月から14日後をいうわけなのですが、新月から14日立っているからといって、必ずしも満月になるわけではありません。地球も太陽も楕円軌道を回転しているので必ずしも一定の速度で動くわけではなく、更には新月が夜中の0時ジャストに起きたのでも無い限り、その分のズレも生じる訳です。
ということで、今年は中秋の名月の9月12日の翌々日14日が満月になっています。
もう一つの名月
さて、名月というと陰暦8月15日の「十五夜」が最も有名なのですが、日本では古来もうひとつ陰暦9月13日の「十三夜」もまた美しい月であるとして重んじました。吉田兼好の「徒然草」にも
八月十五日、九月十三日は婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。
とあります。この月は「のちの月」「女名月」などとも呼ばれ、八月十五夜の月だけを見て九月十三夜の月を見ないのは「片見月」といい、よくないことであるとされました。今年(2000年)は新暦10月10日にあたります。
八月十五夜には芋を供えるので「芋名月」とも呼ばれますが、こちらは豆や栗を供えるので「豆名月」「栗名月」などとも呼ばれます。宮中では宇多天皇の御代に初めて行われたとされます。民間ではこの時期も収穫祭が行われます。
月からの使者
月からの使者といえば、月経ですね。この月経の周期と月の満ち欠けの周期がほぼ等しいことは太古より神秘とされていました。これがなぜ一致するのかということについては納得できるような説明はないようです。ひとつの説では、太古まだ人類の祖先が水の中に住んでいた時、月の満ち欠けと連動する潮の満ち引きが体内のリズムに反映されたからではないかともいいます。
「移る」
月経が「移る」というのは良く知られたことですね。男性には理解しがたいことかも知れませんが、家族や親友などで月経の周期が連動してしまうことは実際よくあるようです。太古はひとつの村の女性の月経周期はみな同じだったのではないか、という説もあります。以前、Monel Chemical Sences Center が行った実験では面白い結果が出ています。それによると
男性と定常的に性交渉を持っている女性の月経周期はだいたい29.5日±3日くらいである。
女性に別の女性の匂いを嗅がせていると、その女性の月経周期に同化していく傾向がある。
月経周期異常の女性に男性の匂いを嗅がせていると、正常な周期に戻っていく傾向がある。
このような現象は性フェロモンの働きであるとされています。通常の匂いは鼻の奥の嗅上皮という所で感知しますが、性フェロモンに関しては鼻の下部の鋤鼻器という別の器官で感知することが知られています。そしてこの鋤鼻器で感知した信号は脳の中のより原始的な部分に伝えられる仕組みになっています。つまりフェロモンによって私たちはより生物的な反応を起こす仕組みになっているのです。
女の家
古代には女性たちは月経になると村の中の、月経中の女だけが入ることのできる特別な家に行って2~3日間過ごしました。この「女の家」は後世男性の民俗学者らにより、女性のけがれをそこに集めるための施設であったとされましたが、近年女性の研究家の意見として、逆に神聖な施設だったのではないかという説も出てきています。すなわち月経中の女性だけが行うことの許された神事などもあり、神域として男性が近づくことが禁止されていた家だったのではないか、という訳です。確かに以前からの説は女性をけがらわしいと考える近世男尊女卑思想に影響されすぎていると思われる面もあり、注目したい意見です。
太陽系第五位の大きさの衛星
月は地球の衛星ですが、衛星としては太陽系の中でも最も巨大な衛星のひとつです。 赤道半径が1738mあり、このクラスの衛星というと木星のガニメデ2634m, 土星のタイタン2575m, 木星のカリスト2403m, 木星のイオ1821m, 木星のエウロパ1565m, 海王星のトリトン1353mなどがあります。しかしこれらはいづれも本体の惑星も巨大であり、ガニメデは木星の27分の1, タイタンは土星の23分の1, トリトンは海王星の18分の1にすぎませんが、月は地球の3.6分の1という本体に比べてずいぶん巨大な衛星になっています。実際、月は地球の衛星というよりも、地球と月は双子惑星なのではないかという人もいるくらいです。
裏を見せない星
月の自転周期と公転周期はいづれも27.3217日と両者は正確に一致しています。このため月はいつも同じ面を地球に向けており、決して裏を見せてくれません。これは長い間の潮汐力の作用による共鳴現象でこういうことが起きたといわれています。似たような現象としては、金星の自転周期の問題もあります。金星と地球の会合周期は584日、自転周期は116.8日で、会合周期が自転周期のちょうど5倍になっているため、金星は地球と内合になるたびに必ず同じ面しか地球に見せないのです。これも共鳴現象であるとされています。
潮の満ち引きの主因
海の満ち引きは他の天体の地球に及ぼす引力の影響で起きるものですが、その中でも最も大きな影響を与えているものが月、その次が太陽です。基本的には月の方角を向いているところの海は引っ張られて満ち潮になり、そこから90度離れた地区言い換えれば6時間前後する地区が引き潮になり、ちょうど反対側も満ち潮になります。つまり基本的には潮の満ち引きは1日に2回起きます。この満ち引きの差は月と太陽が同じ方向またはちょうど逆の方向にある時(つまり満月?新月の時)に最大になり「大潮」といいます。逆に太陽と月が90度の方向にある時は両者の潮汐力が打ち消し合いますので差は最小になり「小潮」といいます。なお実際の潮汐は海底との摩擦により月の動きより数時間遅れる傾向があります。極端な場合遅れすぎて1日の満ち潮が1回しか起きないような場合もあります。
月までの距離
地球の表面から月の表面までの距離は約37万6000キロです。(中心同士の距離は38万4000キロ)この距離に1円玉を積み重ねると、その金額は2500億円になります,催情。アポロロケットは4日かけてこの距離を行きましたが、マッハ1前後で飛ぶジェット旅客機なら13日、時速60kmで走る自動車なら8.5ヶ月、マラソン選手で2年、一般の人の徒歩なら8年かかる計算になります。ケンタッキーフライドチキンの創始者のカーネル?サンダースは64歳の時にこの事業を始めてから引退するまでの間に営業のため車で40万キロを走破したといいます。その距離がちょうど月までの距離に相当します。光はこの距離を1.25秒で到達します。
日食と月食
日食?月食とも地球?太陽?月の相互の位置関係により発生します。日食は月が太陽を隠してしまう現象です。言い換えれば太陽の光による月の影が地球の表面に落ちた時が日食で、その影の中にいる人だけに日食は見えます。月食は太陽の光による地球の影の中に月が入ってしまうもので、この場合影は月の表面にできていますから、その時間に月が見えるところではどこでも月食が見えています。
天球上の月の軌道は白道と呼ばれます。また天球上の太陽の軌道(地球の軌道が反映されたもの)は黄道と呼ばれます。この白道と黄道が交わる場所を昇交点?降交点といい、その付近で新月になると日食が、満月になると月食が起きます。従って日食や月食が起きた場合、その半年後にもまた日食か月食が起きる可能性は高いといえます。
内面の自分
西洋占星術において、出生時の太陽の位置が外面的な性格、月は内面的な性格を表すとされます。例えば太陽が獅子座で、月は魚座といった人の場合、他人の前ではバリバリとリーダーシップを取り、明るくはりきっているようにみえても、心の中では傷つきやすく繊細で、常に他人のことを静かに見つめている部分がある、というように読めます。
月は妻
月はまた男性のホロスコープにおいては、妻を表します。恋人を表すのは金星です。つまり金星のある位置はその男性にとって恋人がいることによって起きること、恋人がいつできるかということ、恋人からの存在意義などを示唆します。そして月の位置は妻からの影響や妻の行動などを示唆します。女性のホロスコープの場合は、夫は太陽、恋人は火星で表されます。
月の位相
生まれた時の月の満ち欠けがどういう状態であったかというのもその人の性格に作用します。また占星術では進行(Progress)といって、生まれた時の星の位置がその人の内部でゆっくりとまた変化していくとしていますが、進行の月の位相は約29.5年の周期で変化します。この位相が新月になった時がその人にとって新しいステージの始まりということになります。ですから新月生まれの人は29歳,59歳,88歳の時にひとつのサイクルが始まりますし、満月生まれの人は14歳,43歳,73歳の時にひとつのサイクルが始まります。将棋の羽生四冠などの場合、これが非常にきれいに出ています。
狼男と吸血鬼
狼男と吸血鬼は西洋の二大妖怪といってもいいかも知れないが、どちらも半人間であるのが特徴。吸血鬼は夜になると墓場から抜け出して美女の生き血を吸うと言われた。吸血鬼は不死(ノスフェラトゥ)であるが、十字架とニンニクの臭気に弱いとされた。ヴァンパイヤとも呼ばれる。手塚治虫の名作に「バンパイヤ」という作品があるが、こちらに出てくる者はむしろ狼男の系統である。
狼男は満月になると狼に変身して人間を襲うとされた。手塚治虫の名作の主人公の兄弟は兄は満月で変身するが、弟は何でも丸い物を見ると即変身して可愛いかった。この作品でバンパイヤたちを倒すために作られた薬は「マッドパー」といった。今時こういう名前を作ると、どこぞからクレームが来そうである。もっともこれを読んだ当時の私には英語は分からないので、なにか難しい横文字の名前くらいにしか記憶していなかった。
月がおかしくさせる
しかし。
実際に月を見て精神に変調を来す人というのはいるらしい。特に満月は影響があるようである。また、満月の日には交通事故などの発生率が高いという「統計結果」を出している人もある。まぁ、どこまでその統計に信頼性があるかは疑問が残る所であろうが。
ある高名な学者が若い頃、月の人体に対する影響という論文を出したことがある。しかしそれを読んだその道の権威の意見はこうであった。『君は月が人体だけでなく、地球の中心も引っ張っているということを忘れている』と。大学者でも失敗はあるものである。
ただ、地球と月の距離はひじょうに近いため、表面に立つ人間は地球の中心よりわずかながら強い引力を受けていることは確かである。ただその差はほんとにわずかではあるが。
そこにあるから
なぜ月はこんなにも人に影響を与えるのであろうか。
それはそこにあるからかも知れない。
我々が友人や会社の同僚などとの付き合いを考えてみた時、ものすごく個性のある人がそばにいると、誰しもその影響を受けるものである。それは別にその人との間の万有引力のなせるわざではない。
やはり、月もそこにあるから影響を与えるのではなかろうか。
そして太陽がどうしても物理的な面への影響が大きいため、月は精神的な面への影響が出やすいのであろうか。
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団子
さて、お月見に欠かせない団子ですが、いつ頃から月見団子が作られていたのかはよく分かりません。喜田川守貞の「守貞謾稿」に月見団子の挿し絵が描かれていますので江戸時代には既にあったようです。しかし平安時代頃の観月宴では池や川などに舟を浮かべて詩を読んだり管弦をしたり歌を歌ったりといったことだったようです。江戸時代にはこの団子の形は江戸では丸型、京都では芋型だったそうです。
団子の起源
日本で団子が作られるようになったのは縄文時代頃であろうと言われます。初期の団子はいわゆる「粢(しとぎ)」で、米?粟(あわ)?稗(ひえ)?黍(きび)?豆?椚(くぬぎ)の実?楢(なら)の実などを粉にして水で練った、火を使わない団子です。これは現在でも民間習俗で死者の枕元に供える枕団子がこの粢の方式です。
「団子(だんご)」という言葉の語源については定かではありませんが、中国の「団子(トゥアンズ,餡入り団子.日本の団子に相当するものは中国では円子.なおちなみに団の旧字は團,円の旧字は圓)」から来たという説、「団」が丸いという意味なので形から来たという説、「団」は集めるという意味で粉を集めて作るからだという説、などなどがあるようです。
串団子は室町時代頃に発生したと言われていますが、最初の頃は5個刺すのが基本でしたが明和年間に4個のものがはやったとされます。現在では団子の大きさ次第で3個から5個の範囲で刺しているようです。
みたらし団子
串団子の王様といっていいのではないかと思います。これは京都の下鴨神社の御手洗祭(みたらしまつり)の神饌菓子が起源であるとされます。伝説では後醍醐天皇が下鴨神社の池で水をすくった所、一つ泡が浮いて、そこから少しだけ離れたところに4個の泡が並んで浮かんだので、その形を取ったとされます。従って本来は串に5本の団子を差す内の頭の1個は他と少し離すのが基本のようです。昔は扇形に広げた10本の串に合計50個刺す形(滋賀県の吉田玉栄堂などで今でもやってるそうです)でしたが、後にたべやすいように1本ずつの形式に変わります。また現在ではそういう形にこだわらず一般に醤油だれの団子をみたらし団子と呼んでいます。京都が本家ではありますが、高山のものが非常に有名です。
きび団子
桃太郎でおなじみの「きび団子」ですが「きび」は「吉備」と「黍」の掛け言葉になっています。岡山の吉備津神社の境内で売られていた菓子が原形とも言われますが、江戸浅草で作られていた黍団子が原形であるとも言われます。作り方はメーカーによって様々ですが、黍粉そのものを練るタイプと、米粉で作って風味付けに黍粉を使うタイプがあります。また1個ずつのものと串刺しタイプとがあります。新幹線に乗っていると岡山付近で必ずこれを売りに来ますね。
笹団子
新潟名物として有名な笹団子。笹の風味がよくて柔らかくて、とてもおいしいですね。緑色なのは笹ではなくよもぎですが、笹に包んだまま蒸しますので、よい香りがつきます。その笹をしばっているのは藺草(いぐさ)です。もともとはまともな米を全部年貢に取られてしまって、残ったクズ米をおいしく食べるための手段として生まれたものだそうです。また上杉謙信の家老の宇佐見駿河守が考案したものだという伝承もあります。
花見団子
月見団子は秋の名物ですが、春には花見団子があります。月見団子が白一色なのに対して花見団子は赤?白?緑と色鮮やか。江戸時代に一般庶民が花見をするようになった頃それにふさわしいものとして登場したと言われます。中には黒?茶まで入った五色団子にしているところもあるようです。
いきなり団子
熊本の名物です。いもが固まりで入っていて素朴な味わい。あつあつの所を食べるのがおいしいです。水前寺公園の沿道のところなどいいですね。
福岡近辺で団子のおいしい所
私が住んでいる福岡で団子のおいしい所といえば、まずは石村萬盛堂でしょう。ここのお団子はほんとに柔らかくて最高です。福岡市内に多数の店舗があります。工場で作って午前中に配送しているようですからお昼前くらいに行くと一番柔らかい状態のものが買えます。お昼時は女の子たちで店はいっぱいになります。これと同じくらいおいしいのでは、西鉄久留米駅の中の団子屋さんの団子があります。これもとても柔らかくて、女子高生などが買っているのをよく見かけます。
すすき
すすきは日本の秋の到来をイメージさせる草です。これは稲科の多年草であり、「かや」とも呼ばれ、屋根の材料として、また家畜の飼料として重視されました。
荒れ野にも生えることでも有名で、「すすき野」などというのは、すすきしか生えない荒れた土地、という意味です。近年では土地開発などで荒れた土地にはまずセイタカアワダチソウ(背高泡立草,これは菊科)などの帰化植物が茂りますが、そのまま何年か放置されているとやがてすすきがやってきて、帰化植物を追い出してしまいます。
花札
花札では、すすきは8月の花になっています。これは当然陰暦ですから、ちょうど陰暦8月15日の月見のシーズンにあったピッタリの植物です。札ではすすきの生えた丘?だけのものが2枚、月が出ているのが1枚、雁が飛んでいるのが1枚あります。
月の中のうさぎ
日本では月の模様は、餅をついているうさぎ、ということになっています。月というものは常に同じ面を地球に向けていますから、世界中のどこで見てもまたいつ見ても同じ模様が見えるのですが、この模様を何と見るかは国によって違うようです。インディアンと見る国、蟹と見る国、などなど。お隣の中国では日本と同じうさぎですが、向こうは薬草をひいているうさぎ、ということになっています。日本では「望月の中で餅をつく兎」という語呂合わせも成立しますね(^^)
仏教説話
何故うさぎが月の中にいるかということについて仏教説話も出来ています。それによると昔、帝釈天が老人の姿で動物たちのところに行き、食べ物を乞うた時、猿は木の実を、狐は魚を取ってきて老人に与えたが、うさぎは何も取ってこれなかったため、自ら火の中に飛び込んで自分の肉を与えたというのです。これを哀れんだ神がうさぎを月の中に蘇らせたといいます。
うさぎは鳥??
日本では聖武天皇の時代から明治維新に至るまで基本的に肉食が禁止されていました。しかしやはりおいしいものは食べたい訳で「4つ足の動物でなければよい」ということになって鳥は食べても構わないということになっていました。そして、うさぎも後ろ足2本で立ち上がったりするのでこれは「4つ足ではない。2本足で立つ」から、ということで「1羽、2羽」と数え、鳥と同じ扱いをして禁忌を回避して食べていました。
むろん、うさぎは実際には鳥ではなく哺乳類のウサギ目に属し、齧歯(げっし)目のりす?ねずみ?やまあらし?むささびなどと親戚に当たります。ねずみも「ねずみ算」といってよく増えますが、うさぎも繁殖力旺盛です。それはやはりうさぎを食べる動物がいっぱいいるからで、狐や狸などにじゃんじゃん食べられますから、じゃんじゃん増えないと種が維持できない訳です。
うさぎ美味し、かの山?
「ふるさと」という唱歌で「うさぎおいし、かのやま」という歌詞がありますが、けっこうこれを「うさぎが美味しい」という意味だと思っていた、という人が多いそうです。むろんこれは「うさぎ追いし」です。でも兎を追いかけてつかまえたら、その後食べたでしょうから、結局は「美味し」でもいいのかも知れません(^^;
うさぎは後ろ足が大きいのでどうしても下へ走るより上へ走る方が楽な体つきになっています。そこで一般に兎狩りをする時は山の下の方から上へと追いつめます。昔学校の行事でやったような場合では、全校生徒で山のまわりを手をつないで取り囲み、少しずつ上にのぼっていって、頂上にうさぎを追いつめて捕まえたようなケースも多々あるそうです。昭和初期の食料事情のよくない時期には、生徒たちには格別のごちそうになったのではないでしょうか。
最近では潤沢にスーパーにブロイラーの鶏とか豚とか外国産の牛とかの肉が並んでいるので、うさぎは食べないようですし私も食べたことがないのですが、うさぎの肉は少し臭みがあるものの軟らかく淡泊で美味なのだそうです。
月読神(つきよみのかみ)
月読神は「三貴子」の一人です。創造神である伊弉諾(いざなぎ)神が宮崎の川の河口付近で禊(みそぎ)をした時、左目を洗った時に天照大神(あまてらす?おおみかみ)、右目を洗った時に月読神、そして鼻を洗った時に素戔嗚(すさのお)神が生まれました。そして伊弉諾神は天照に天の世界を、月読に夜の世界を、素戔嗚に海を統治するように命じたのです。
月読神の信仰の発生の地は日本国内に2ヶ所あります。ひとつが伊勢神宮で、ここは天照大神を祭る神社ですが、その弟神として月読を祭る神社もあります。太陽の象徴である天照大神と、月の象徴である月読神とが関連づけられて信仰されたのでしょう。
もうひとつの発生の地は出羽三山の月山(がっさん)です。ここは修験道(山伏)の聖地ですが、月山神社の御祭神は月読神になっています。
外国では月の神が太陽の神と並んで深く信仰されたケースが多々あるのですが、日本ではこの月読神は一般の人にはほとんど知られていません。また神話自体も天照大神と素戔嗚神については多数あるのに月読神に関してはほとんどなく、河合隼雄氏は天照と素戔嗚という大神をトライアングルに仕上げるための「無為の神」ではないかと評しています。
月光菩薩(がっこうぼさつ)
神道の世界の月の神が月読であれば、仏教の世界の月の神は月光菩薩です。これは日光菩薩と並んで、薬師如来(やくしにょらい)の脇侍を務める菩薩で、それぞれ太陽の光?月の光により薬師如来の働きを助ける役割を果たしています。奈良の薬師寺や京都の東寺講堂などで見ることができます。
阿弥陀如来(あみだにょらい)
一般に阿弥陀如来を月の神と考える人はほとんどいないのではないかと思います。しかし私は日本で月の神の信仰があまり広まらなかったのは阿弥陀如来があったからかも知れないとも思っています。
阿弥陀如来は西方浄土の教主で、基本的には西に沈む太陽の象徴と考えられています。しかし神仏混淆においては月読神の本地(本体)が阿弥陀如来とされており、深夜遅くのぼる月を見ると、その月の中に阿弥陀如来が見えるという信仰もありました。
この月に関連した阿弥陀如来信仰は太陽に関連した大日如来信仰と対になって発生したのかも知れませんが、どちらかというと太陽に関しては神道側の天照大神への信仰が強く、月に関しては仏教側の阿弥陀如来信仰の方が強く広まったように思います。
なお、阿弥陀如来の脇侍は観音菩薩(かんのんぼさつ)と勢至菩薩(せいしぼさつ)です。阿弥陀如来が亡くなると、その後は観音菩薩が代わって西方浄土の教主になるとされています。ただし観音菩薩自体も現在南方補陀落(ふだらく)浄土を主宰しています。
阿弥陀如来は密教?禅宗などでも信仰されますが、特に深く信仰するのは浄土宗?浄土真宗です。浄土真宗の中興の祖である蓮如上人は現在でも在家信者のお勤めに使われている「正信念仏偈」をまとめましたが、その冒頭には
帰命無量寿如来 南無不可思議光
とあります。「無量寿如来」「無量光如来」というのも阿弥陀如来の別名です。
トト
エジプトの月の神で主神ホルスの宰相と書記官を務める重要な神です。エジプトの神は一般にローカルな神が多く、多数の神々は何かの機能を持った神というよりそれぞれの町の守護神という性格が強いのですが、朱鷺の頭の神トトと山犬の頭の神アヌビスだけが例外で、エジプト全土で信仰されていました。日本の月の神が「月読」と呼ばれたようにトトも時を測る者としての認識がされていました。やはり月というのは重要な天然の時計であったのです。トトは記録の神?知恵の神?学識の神で、後にヨーロッパの神秘思想ではギリシャのヘルメスと同一視され神秘学の教主とみなされました。
ガブリエル
キリスト教の大天使ガブリエルは一般に月に関連付けられます。これに対して大天使ミカエルは太陽です。またガブリエルは出産と水に関連付けられており、ミカエルは死と火に関連付けられています。すなわち水の世界からこの世に生まれる時にガブリエルの守護があり、死んで火により浄化される時にミカエルの守護があるとされます。また基本的に天使には性別はないともされるのですが、一般にはガブリエルは女性、ミカエルは男性と信じられています。またガブリエルは節制をミカエルは慎重を表します。
月世界旅行
月へ行く物語といえばまずジュール?ベルヌの「月世界旅行」があるでしょう。ジュール?ベルヌの数々の物語というのはSFが真に「Science Fiction」であった時代の名作で、まだなにもそういう技術がない時代に想像力だけで未来の世界を予測しています。その他月に行った話としては、ドイツの「ほら男爵(MunchHausen男爵,1720-1797)」の冒険物語もあります。またぐっと古典に行くとギリシャのロウキアノスの「真実の歴史」に帆船で8日かけて月へ行く話が出てきます。
月に行った人々
実際に最初に月に行った人はアメリカのニール?アームストロングです。1969年7月20日午後4時17分(アメリカ東部時間サマータイム)、アポロ11号の着陸船から第一歩を踏みだし、『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな跳躍だ』という有名な言葉を残しました。彼は後にイスラム教に改宗して修行者になります。
このあと1972年のアポロ17号まで6機のアポロ宇宙船が人類を月まで運びました。(13号は故障により断念)アポロ14号の飛行士たちは月面でゴルフを楽しんでいますし、その中の超能力者エドガー?ミッチェル飛行士は地球上とのテレパシー実験を行いました。しかしアメリカはこの後財政上の理由で宇宙開発の規模を縮小、ここ25年間月には人は誰も行っていません。本格的に人類が月に進出するまでまだ50年くらいかかるかも知れません。
竹取物語
月に関連した物語として古いものに日本の竹取物語があります。竹のそばに置かれていた女の子?かぐや姫はまさに竹のようにすくすくと成長し、あちこちの貴族が求婚する美しい娘になります。その求婚者たちには無理難題を提示してその申し出を断りますがやがて帝からの求婚があり、いくらなんでもこれは断れない状況。しかし姫は私は月に帰らなければならないと言い、やがて満月の晩、帝の兵士が多数守護するものも皆金縛りにあってしまい、迎えに来た天人たちに連れられて月へと上っていきます。
かぐや姫がくれた不死の薬。しかし姫を育てた翁?媼は「かぐや姫がいないのに長生きしても仕方ない」とそれを富士の山の上で焼きます。するとさすがに不死の薬だけあってその煙がいつまでもいつまでもたなびいていました。
決して見えない月の裏側
月はいつも地球に同じ面を見せており、決して裏側を見せません。これは月の公転周期と自転周期が完全に一致(27.321662日)しているために起きることです。
これは奇跡のような現象だと思うかも知れませんが、そう珍しいことではありません。例えば水星は自転周期と公転周期が正確に2:3の比になっています。金星と地球の会合周期は金星の1日の長さの正確に5倍です(故に金星は内合の時常に地球に同じ面を見せる)。火星の2つの月フォボス?デイモスも自転周期と公転周期が正確に一致しているため、常に火星に同じ面を見せています。
これらのことは全て長年の重力(潮汐力)の作用によるものです。宇宙はやはり調和に満ちているのです。
月の裏側を見たのは
最初に人類が月の裏側を見たのは、ソ連の月ロケット「ルナ3号」が撮影した写真によってです。発表されたのは1959年10月26日のことでした。
当時の宇宙開発は完全にソ連が先行。3号に先立つ「ルナ2号」が初めて月にソ連の国章を運び、フルシチョフは「いづれアメリカも月に到達するであろう。その時ソ連の国章は古い住人としてアメリカの国章を歓迎する」という声明を発表。アメリカ国民に屈辱を味あわせました。アメリカは対抗して翌年から「レインジャー計画」を開始。ソ連の後から月への道を開拓し始めます。
ところでオカルティストの間では、このソ連の月ロケットの以前から月の裏側を描いた絵が存在する、という噂が絶えません。どのようにして得られたものかは分かりませんが、いくつか私が見たものは確かに写真で見る月の裏側とそっくりでした。こういった絵の中にはニセモノがかなり多いとは思いますが、ひょっとしたら中にはホンモノもあるかも知れない、という気がします。
のぞみ撮影月の裏側
2年前、日本の火星探査機「のぞみ」が月の裏側を撮影して写真を送ってきてくれました。
「のぞみ」は1998年7月4日3:12鹿児島県内之浦町の文部省宇宙科学研究所から打ち上げられました。この写真は月を利用したスウィング?バイの最中に撮影したもので、「のぞみ」が火星を回る軌道に到達するのは2004年初頭の予定です(最初1999年10月の予定だったが燃料を予定より使いすぎて加速できなかった)。この「のぞみ」には多数の観測機器のほか、全国から寄せられた27万人の名前が載せられています。
「のぞみ」が撮影した画像は宇宙科学研究所のサイトの下記のページから見ることが出来ます。
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